
今回の記事では開発チームや創立メンバーに焦点を当てるとともに、イーサリアムがどのような歴史を辿ってきたのかを探っていきたいと思います。
その中で、ホワイトペーパーやロードマップをご紹介していくと共に、イーサリアムがどのように進化してきたのかも見て参ります。
そしてイーサリアムが何を目指しているのか。
今、仮想通貨界隈でウワサされているEthereum2.0に迫りたいと思っています。
ニックネームが『宇宙人』だった少年が始めたイーサリアム
仮想通貨関連に興味がある人で、ヴィタリック・ブリテン氏の名を知らない人はいないでしょう。
初めて彼の写真を見た時に感じたのは『違和感』でした。
「彼は自分と同じ人間なのか?」
そんな疑問が浮かんでくるほどの違和感を感じました。
事実、ヴィタリック氏には「宇宙人」というニックネームがありますし、TwitterではIQ254あるとも言われています。
そんなニックネームがついたり、ウワサがまことしやかにささやかれるほど、ヴィタリック氏はその才能を遺憾なく発揮しているのです。
そんな彼に、凡人の筆者が違和感を感じるのは当然のことでしょうね。
なので、この話題は忘れてください(汗)。
ヴィタリック氏は、1994年にモスクワで生まれ、6歳の時にカナダへ移住しました。
小学3年生の時に、秀才児の集まるクラスでプログラミングを行い、数学や経済学でその才能を発揮していました。
上級生になる頃には「数学の天才」「神童」と言われるのが当然となり、経済学の基礎もこの頃に培われたものだったのでしょう。
そんなヴィタリック氏も、一人の少年であったことに変わりはありませんでした。
彼は、2007年から2010年にかけて、当時世界最大のMMORPGであった「World of Warcraft」に熱中していました。
2007-2010, but one day Blizzard removed the damage component from my beloved warlock's Siphon Life spell. I cried myself to sleep, and on that day I realized what horrors centralized services can bring. I soon decided to quit.
私は2007-2010年の間にWorld of Warcraftを楽しんでいました。
しかし、ある日Blizzardは、私の最愛の魔法使いSiphonの能力に仕様変更を加え、弱くしてしまったのです。
私は泣き疲れて眠ってしまうまで泣き、そしてその日私は、中央集権化したサービスの恐ろしさについて理解しました。
私は、それ以来そのゲームをやらなくなりました。
熱中していたゲームの突然の仕様変更と、3年間育て続けたキャラクターに、冒涜とも取れる能力調整に対する憤りは、想像に難くないでしょう。
この出来事を通してヴィタリック氏は、中央集権化したサービスに対する『何か』を抱くようになりました。
ビットコインとの出会い
ヴィタリック氏が17歳の頃に、父親が「おもしろい仮想通貨があるぞ」と教えてくれたのがきっかけで、ビットコインと出会うことになりました。
ただその時は「コンピューター上に書かれたただの数字の羅列にしか見えなかった」と後のインタビューでは語っています。
その時は、BTCの本質的な価値に気づいていなかったようですが、それから1カ月後にビットコインの話を聞いて、調べた方がよさそうだと思うようになったようです。
それからはBTCの情報が集まる掲示板を読みあさり、知識を得ていったそうです。
ある時、BTC関連のブログの記事を書く仕事を掲示板で見つけて、1記事あたり5BTC(当時は4ドルくらい)の報酬で記事を書き始めます。
ヴィタリック氏がBTCを使った初めての買い物は、Tシャツを8.5BTCで買ったのだそうです。
ひとつの企業がネットワークを構築するのではなく、何千という人々が自分のコンピューターを使うことでネットワークをつくるというアイデアはカッコいいと思った。
そうしてつくられる新しい金融システムは個人に力を与えるものだ。この時からぼくは、どんどんビットコインにのめり込んでいった。
ビットコインとの出会いから2年後、ワーテルロー大学に通い始めたヴィタリック氏でしたが、週に30時間以上をBTC関連のプロジェクトに費やしていることに気づくと、あっさりと大学を辞めてしまいます。
そして、PayPalの創始者、ピーター・ティールが大学中退者に10万ドルの支援を行う「Thiel Fellowship(ティール フェローシップ)」を使って、世界中のBTCプロジェクトを見て回る旅に出発しました。
BTC界では、今何が起きていて、人々はどんなことをやっているのかを知ることが目的でした。
旅は5カ月に及び、その中で次第に、ブロックチェーンを仮想通貨以外の目的に使おうとしていることに気づきます。
送金システムや商品の売買、個人認証、クラウドファンディングなどなど、様々な用途にブロックチェーンが活用されていることを知ります。
でもその時に、ブロックチェーンのプラットフォームのサポートが、十分ではないと思っていたとヴィタリック氏は語っています。
そしてそのアイデアは1カ月くらいかけて徐々に形になって行きます。
ブロックチェーンをもっと一般化した形で使う方法があるのでは?
と気づき始めたヴィタリック氏は、ブロックチェーンをあらゆるアプリケーションで機能させる方法を探し始めます。
その後1カ月かけて、全く新しいプラットフォームをゼロから作ることで、総合的な目的に使える仕組みを生み出せるはずだという考えに至ったと言います。
2018年11月30日に名誉博士号を取得
スイスで最も歴史のある名門バーゼル大学は11月30日、仮想通貨イーサリアムの共同創業者として知られるVitalik Buterin氏(以下ヴィタリック・ブテリン氏)に対して名誉博士号を授与しました。
このことはバーゼル大学の公式Twitterでも発表されています。
.@VitalikButerin receives an honorary doctorate from the Faculty of Business and Economics of the University of Basel. The co-founder of @ethereum has made outstanding achievements in the fields of #cryptocurrencies, smart contracts and the design of institutions. pic.twitter.com/6d6ftTG56n
— University of Basel (@UniBasel_en) November 30, 2018
天才と名高いヴィタリック・ブテリン氏が博士号を授与したのはスイスのバーゼル大学ビジネス・経済学部で、その理由を以下のように語っています。
彼(ヴィタリック・ブテリン氏)は、地方分権化とデジタル革命への平等な参加機会創出を促進することに貢献し、暗号通貨、スマートコントラクト、制度設計に関するサービスの開発に貢献しました。
また、同氏は「学位や大学へのコミットメント無しに学術論文を執筆した」としており、論文を評価されることが目的ではないことを明らかにしています。
上記のように、ヴィタリック・ブテリン氏氏は「地方分権化とデジタル革命への平等な参加機会創出」に注力し、非中央集権の考えを強く推進していることで有名です。
例えば2018年7月、テックランチのインタビューに答えたヴィタリック・ブテリン氏は分散化について肯定的な発言を繰り返し、既存の中央集権型仮想通貨取引所を次のように批判しました。
個人的には、中央集権型の仮想通貨取引所が可能な限り地獄で焼かれてしまうことを望んでいる。
ヴィタリック・ブテリン氏が指摘する「中央集権型の取引所」の問題点は「仮想通貨に対する影響力が強い」ことで、それを解決するのがDEX(分散型取引所)だとしています。
イーサリアムプロジェクトの始まり
2013年11月、ヴィタリック氏19歳の時に、イーサリアムのホワイトペーパーを作成します。
『次世代スマートコントラクトと分散型アプリケーションプラットフォーム』
と題されたホワイトペーパーは、大きな話題を呼びます。
そして2014年1月に、North American Bitcoin Conference(北米BTC会議)でイーサリアムの開発を発表し、2014年6月にEthereum財団を設立。
2014年7月にローンチを開始して、プレセールで20,000BTC($14,500,000:約16億円)の資金調達に成功します。
2014年8月に発表された、本セールでのETH販売総額は31,529BTC($19,000,000:約21億円)となりました。
このETHのローンチは、世界最初のICO成功例と言われています。
今見たら、調達した金額は大したことがないかもしれません。
ですが、ICO(Initial Coin Offering)は本来、このように実績の無いブロックチェーン企業、もしくは団体が資金調達をする唯一の方法なのです。
実績を持たない企業や団体が、将来実現させる予定のプロジェクトに対して出資を募る。それが本来のICOの姿です。
何の実績もない19歳の青年が書いたホワイトペーパーに、21億円もの資金が集まり、Ethereumプロジェクトはスタートしました。
一時期、誰もが簡単に資金調達できることから、ブームとなりましたが、そのほとんどが詐欺まがいであり、Ethereumのような結果を残しているものはほとんどありません。
その違いは一体どこにあるのでしょうか?
イーサリアム開発スタッフ
先日、「Ethereumの開発者数 全ての仮想通貨の中でトップ。 ビットコインの2倍以上」という記事がCoin Telegraphで発信されました。
記事によると、毎月平均216人の開発者がイーサリアムにコードを提供しているとのことです。
この数は、BTC開発者の倍以上であり、時価総額で争っているXRPの10倍以上です。
2014年6月に設立された財団は、イーサリアムのコア開発を手がけるチームであり、財団の開発力の高さこそが、イーサリアムの特徴でもあります。
先ほど、同じICO出資金調達を果たしたにもかかわらず、イーサリアムと他のプロジェクトでは、現れる結果が違うとお伝えしました。
その違いはこの開発者たちの数と、それを率いるEthereum財団にあると思われます。
そこでここでは、イーサリアムを起動させた、開発スタッフにスポットライトを当てたいと思います。
イーサリアムにおける初期の開発コアメンバーは、今の仮想通貨界隈を賑わす有名人ばかりです。
イーサリアムを作ったのは、ヴィタリック・ブリテン氏だけではありません。
確かにヴィタリック氏は、アイデアを練り、ブロックチェーンのプラットフォーム上でスマートコントラクトを実働させるホワイトペーパーを作り、創設時から現在に至るまで、イーサリアムの開発を牽引する代表者です。
しかし、最初にイーサリアムの開発を手がけたのは、イギリス出身で、ヨーク大学卒の天才プログラマーと言われた、ギャビン・ウッド(Gavin Wood)氏だとも言われています。
ウッド氏は、スマートコントラクト向けのプログラミング言語「Solidity」の開発者でもあります。
共同設立当時は、EthereumCTO※1も務めた一流の技術者であり、ブロックチェーンプロトコルの最初の正式な仕様、「Ethereum: A Secure Decentralised Generalised Transaction Ledger(安全な分散型一般化取引元帳)」というイエローペーパー※2を2014年4月に発表しました。
現在はEthereum財団を離れ、異なるブロックチェーン間で、情報交換するためのプロトコル開発を目指すプロジェクト「Polkadot」に取り組んでいます。
ウッド氏はEthereum財団を離れはしましたが、袂を別にしたのでは無いようで、主要開発は今もイーサリアム系のプロジェクトが主のようです。
イエローペーパーとは、技術的なホワイトペーパーであり、スマートコントラクトやプロトコルなどの主要開発言語の方向性を記したもの。
但し、このイエローペーパーを提示しているのはEthereumだけであり、他の仮想通貨では使われていない。
次の共同創設メンバーは、Fintech分野に長く携わってきた、ジョセフ・ルービン(Joseph Lubin)氏です。
ルービン氏は、プリンストン大学で電気工学とコンピュータサイエンスの学位を優等の成績で卒業し、ロボット工学研究室で研究員として勤務していました。
その後は、ソフトウェア・エンジニアやコンサルタントとして様々なプロジェクトに関わり、Fintech分野ではゴールドマン・サックスにも在籍していたことがあります。
イーサリアムプロジェクトには2014年1月に参加、共同創設し、同年10月にConsenSysを創設しました。
ConsenSysは、ルービン氏がニューヨークに立ち上げたFintech企業で、同社のCEOもルービン氏が務めています。
ブロックチェーン技術を応用して、資産の保管や送金を低コストで実現するDAppsやエコシステムの開発などをしています。
また、イーサリアムネットワーク上でブロックチェーン戦略を策定し、ビジネスプロセスの開発や支援を目的に、さまざまな企業と提携しています。
Ethereum財団とConsenSysの関係は、企業の開発部門と営業部門といった関係であり、どちらもイーサリアムの発展を目的として活動している組織です。
最後の共同創設メンバーは、天才数学者としてだけでなく、ビットシェアーズ(BTS)の創設者であり、開発にも携わったことで有名だった、チャールズ・ホスキンソン(Charles Hoskinson)氏です。
チャールズ・ホスキンソン(Charles Hoskinson)氏とは
ホスキンソン氏は、アメリカ・ハワイ出身で、数学教授を目指してコロラド大学に進学していました。
彼は、日本の小学校から高校にあたる教育は自宅で受けており、15歳で高校までの履修を全て終えてしまったそうです。
ビットコインを知ったのは2010年頃と早かったのですが、価格が3〜4ドル程度だったこともあり、上手くいかないだろうと思ったそうです。
しかし、2013年のキプロスショックで、ビットコインに注目が集まり、ホスキンソン氏も仮想通貨への見方を改め、Udemyで仮想通貨の講義を配信するまでになりました。
その後、2013年7月に出資を受け、ダニエル・ラリマー(Daniel Larime)氏とともにInvictus Innovations社を設立。
ビットシェアーズ(BTS)の開発に従事し始めます。
しかし、2013年12月には、ラリマー氏とケンカをして、袂を別ち退社。
2014年から、イーサリアムの創業に参加したのです。
きっかけは、ヴィタリック・ブリテン氏の書いたイーサリアムのホワイトペーパーを目にしたことだとか。
一説によると、ホスキンソン氏がビットシェアーズを離れたのは、Ethereumのプロジェクトに参加したかったから、などというウワサも立つほどでした。
本当のところは不明ですが、そんなウワサが立つほど彼の移籍は電撃的で、衝撃的だったのでしょう。
Ethereumの創業に関わることになったホスキンソン氏ですが、その役割はビジネス面に重きを置いた役割だったようです。
ところが、2014年5月には、Ethereumから離れることになります。在籍期間はわずか5ヶ月ほどでした。
こちらも原因は、方向性の違いによるケンカ別れだったと言われています。
ケンカの原因はイーサリアムを営利団体にするか。それとも非営利団体にするかという点にあったようです。
ホスキンソン氏が推したのは営利団体化でした。営利団体にする方が合理的と判断したのでしょう。
イーサリアムを去ったホスキンソン氏は、2015年3月にジェレミー・ウッド(Jeremy Wood)氏とともに、IOHK(Input Output Hong Kong)を設立し、Cardano(ADA)の開発スタートさせます。
そして2017年9月にCardano(ADA)をリリース。多くの億り人を創出したことを記憶されている方もいらっしゃるでしょう。
ギャビン・ウッド氏とは異なり、ホスキンソン氏はこれ以降、イーサリアムに関わる仕事につくことは、これまでのところありません。
イーサリアムの予定外のハードフォーク「DAO事件」
ホスキンソン氏の離脱はあったものの、先にお伝えしたように、メインローンチで$19,000,000(約21億円)の資金調達を成功し、イーサリアムプロジェクトはスタートします。
イーサリアムは、ロードマップを発表した当初から、4回のアップグレードハードフォークで進化することを決めていました。
※ハードフォークの内容に関しては下記の記事に載せていますので、そちらもご覧ください。
そして、2015年に1度目のハードフォーク、Frontier(フロンティア)を行い、Ethereumを開発者向けに公開します。
その翌年の2106年には、2度目のハードフォーク、Homestead(ホームステッド)を実行。
スマートコントラクトを本格的に始動させるとともに、手数料としてのETHの価値をさらに高めていきました。
このように、順風満帆に見えるスタートを切ったイーサリアムですが、これまで何も問題がなかったわけではありません。
それどころかイーサリアムは、スマートコントラクトを持つが故に、常に様々な問題と対峙してきた歴史を持つといっても過言ではありません。
その中でも、最も大きな事件が、The DAO事件です。
The DAO事件は、イーサリアムを語る上では外せない事件でもあります。
このDAOとは、『Decentralized Autonomous Organization』の頭文字をとったもので、日本語に訳すと、『分散型自律的組織』と訳すことができます。
この『分散型自律的組織』とは、BTCやETHと同じように、中央集権的な仕組みを持たない組織のことで、ビットコインやイーサリアムもDAOの一つであるということができます。
The DAOとは
The DAOとは、ドイツのブロックチェーン企業「Slock it」が始めた『自律分散型投資ファンド』サービスです。
従来のファンドサービスは、中央管理者(企業やファンドマネージャー)が顧客から集めた資金を使って、投資を行います。
しかしこのThe Daoでは、出資した投資家の投票によって何に投資するかを決定します。
投票で決まった投資内容(契約)は、プラットフォーム上に実装されたスマートコントラクトによって、管理者が存在しなくても自動で契約内容を実行できるというわけです。
このサービスは、ICOによって資金調達が行われ、28日間で約1207万ETH(約150億円)の資金を集めました。
事件は、The DaoのSplit機能と送金を管理していたDAppsのバグ※3を悪用されたことで起こりました。
Tha Daoでは、投資先の決定(投票による多数決)に賛同できない場合は、自分が出資した資金を自分が管理するアドレスに移すことができるようになっていました。
これがSplit機能です。
Split機能は、スマートコントラクトに実装されたDAppsによって行われていました。
本来、Split機能(DApps)による資金の移動は、1回しかできない設定だったのですが、これが複数回できてしまうバグがあったのです。
ハッカーはこのバグを利用して、約8000万米ドル(約90億円)のETHを盗むことに成功しました。
バグとは「悪さをする虫」の意味。
本来はソフトウェアの不具合(エラー)のことを指すが、現在ではエラーだけでなく、プログラムが作成者の意図した動きと違う動作をする原因を総称して「バグ」という。
このように、The DAOはDAppsの脆弱性を突かれてがクラッキングがおこり、プロジェクトは停止状態に陥りました。
ただ、このSplit機能には、もう一つ別の制約がありました。
それは期日にならないと資金を引き出せないという設定があったのです。
イーサリアム財団は資金流出を避けるために、イーサリアムのノードを支える全ユーザーに対し、クラッキングが行われる前までブロックチェーンを巻き戻すハードフォークを提案します。
ブロックチェーンが巻き戻されることで、クラッキングは無かったことになり、The DAOの資金流出もなくなります。
そしてハードフォークに合わせて、DAppsのバグも修正するというものでした。
ユーザーの投票で巻き戻しハードフォークは選挙で承認され、実施が決定し、実行されました。
ハードフォークが行われたことで、資金の流出は食い止めることができましたが、一部反対派が分岐前のブロックチェーンを利用したEthereum Classicが派生誕生することになりました。
反対派は、ハードフォーク決定までのプロセスにおいて、Ethereum財団が中央集権的な動きをしたということで反発したメンバーやユーザーだったようです。
また、The DAOプロジェクトも、資金流出を起してしまったことで信用を失い、投資家から資金を回収されることになりました。
余談ではありますが、The DAO事件で起こったハードフォークから生まれたETC(Ethereum Classic)ですが、一時はイーサリアム並みに人気があった時期もありました。
ですが、現在は開発が滞っている状態に陥っており、昨年末には、PoWの弱点である51%アタックを受けたこともあり、市場価値は一気に低下しています。
このThe DAO事件において、Ethereum財団は問題解決のために中央集権的な動きをしたのは事実ですが、資金流出を避けるためには必要であったと筆者は判断しています。
最終的にハードフォークは、選挙が行われ多数決で決定されたことでもあります。
その動きを中央集権的と批判するのは簡単ですが、ではそれ以外にどんな方法があったのかの提示はなされぬまま時間が過ぎていきました。
資金流出という最悪の結果を避けるために行われた、Ethereum財団の決定は間違ってはいなかったと思います。
ヴィタリック氏が目指しているもの
前の章の最初にお伝えした通り、イーサリアムの開発者数は、ビットコインの倍以上の数になっています。
そしてその数が示すように、イーサリアムの開発能力の高さは、EOS、TRONといった同じスマートコントラクトを持つブロックチェーンに比べても圧倒的です。
トランザクションスピードやスマートコントラクトの実行スピード、gasの無料化等は、後発のEOSやTRONが性能的には優れています。
しかしイーサリアムは、多くの開発陣に支えられ、常に進化し続けているのです。
それがイーサリアムの特徴であるとお伝えしましたが、実際にイーサリアムはどこを目指しているのでしょうか。
その答えを見つけるのに一番良い機会は、筆者はチャールズ・ホスキンソン氏とヴィタリック・ブリテン氏の対立から読み取れると思っています。
Ethereumを営利団体することに反対したのは、ヴィタリック・ブリテン氏だったと言われています。
事実ヴィタリック氏は、WIREDのインタビューで、「ブロックチェーンをよりよく使うために必要なことは何だと考えていますか?」という質問に対して、以下のように語っています。
Silk RoadもBitfinexも、分散型ネットワークで運営されているはずなのに「脱中央」という考えに従っていなかった。
ひとりの人物がネットワークを支配していて、彼らが大金を稼いでいるんだ。
こうしたリスクを減らすためにぼくらが長期的にやらなければいけないのは、ブロックチェーンというテクノロジーを支える「分散型」という原理を保つこと。
その原理がきちんと機能することは、この8年間でブロックチェーンがさまざまなサーヴィスに適用されてきたことを見れば明らかだ。
たとえば、これはひとつのアイデアに過ぎないけれど、あるプロジェクトを行うひとりの人物に5,000万ドルを投資するのではなく、「プロジェクトそのもの」に投資をすることはできる。
同じプロジェクトを行ういくつかのチームをつくって、あるチームにお金を与えてみる。
そのチームがうまくいかなければ、別のチームにお金を与えてみる…という方法だ。
こうしたメカニズムをつくれれば、The DAOと同じような過ちを冒すリスクは減り、より脱中央的な方法でプロジェクトを進めることができる。
この「ブロックチェーンをよりよく使うために必要なことは何だと考えていますか?」という質問に対して、ヴィタリック氏の答えは、
「分散型」という原理を保つこと。
だと言い切っています。
イーサリアムを営利団体にしてしまっては、「分散」の原理が保てない。
確かにその方が、将来性や営利目的としては大きな成果が出せるかも知れない。
でもそれでは、他の中央集権と同じになってしまう。
だからヴィタリック氏は、ホスキンソン氏が推奨する営利団体としての活動に反対したのだと思うのです。
そしてこれが、イーサリアムが目指す方向性であり、イーサリアムが目指す未来であると思えるのです。
「分散型」の未来、「分散型」の社会を作るために、それを支える根底のシステムとして、Ethereumを開発する。
一つのエコノミーネットワークがEthereumであり、そこで使われる通貨がETHであると規定している訳です。
これはこれから起こるであろうイノベーション、トークンエコノミーの考え方そのものでもあります。
まとめ
始まりの仮想通貨であるBitcoin(BTC)は、インターネット上で誰もが使える『デジタルゴールド』としての価値を確立しました。
法定通貨が作っている枠を飛び越え、世界共通のデジタル通貨として、単なるデータが価値を持つようになったのです。
そのビットコインは今、仮想通貨と法定通貨をつなぐ基軸通貨として、世界中の人々が活用しています。
ビットコインの使い方は多岐にわたりますが、それはどこまで行っても通貨という枠の中に納まるものです。
一方イーサリアムにはその縛りはありません。
イーサリアムは、スマートコントラクトを実装することで、様々な契約を自動で実行できるようにしました。
ですので、この世界で起こっている様々な出来事(契約)に対して、それを自動化できる可能性を秘めているのです。
ビットコインが『物の価値』をデジタルデータ化して取引できるようにした仮想通貨だとすれば、イーサリアムは『事の価値』をデジタルデータ化して取引できるようにした仮想通貨だと言えます。
これはどちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではありません。
物と事は互いに支え合う関係にあるからです。
物質は、ただ存在するだけでは価値を持ちません。
物があったとしても、それを使う事が起きなければ価値は生じないのです。
同じように、事だけを起こすことはできません。
何か物がなければ、事を起こすことはできないのです。
だとすれば、BitcoinとEthereumは、仮想通貨の「物」と「事」を支える役目を持って、生まれてきたと言えるのでは無いでしょうか。
「宇宙人」と呼ばれたヴィタリック少年は、成長してビットコインと出会い、19歳の時にイーサリアムを作りました。
彼が作ったイーサリアムは、多くの開発陣に支えられて今も進化し続けています。
今回は、ヴィタリック氏と共に、イーサリアムを作ってきた初期の開発陣にスポットを当ててみましたが、いかがだったでしょうか。
さて次回は、イーサリアムのこれからを考察してみたいと思います。
ICOバブルが弾け、イーサリアムは資金回収のために売られ、一気に価格を下げることになりました。
一時は「イーサリアムは終わった」などという声すら出たほどです。
でもそれは本当にそうなのか?
それを検証していきたいと思っています。